TOP明石喜春商店会とは


 明石喜春商店会の歴史は、藩主小笠原忠政によって明石城が築かれた江戸時代まで遡ります。築城に伴い、伝説の剣豪・宮本武蔵が設計したと言われる城下町。この町の中で、お城の大手門から南へ伸びる道の東西に広がる追手町が、現在の喜春商店会の地域です。

 明石城は、当初「鶴の城」と呼ばれていましたが、後に儒者・片山兼山によって「喜春城」と改められました。片山兼山は中国のことわざ、「天子南面貴春」(天子は春の萬物が育成を貴び、人民の繁育を御心となさることにより、諸侯もまた人民の生育を喜び、殺伐を忌むべし)より「キハル」を思いつき、「貴」の字をはばかって同音の「喜」に替えたということです。この明石城の別名が、商店会の名前の由来です。

 喜春の文字に込められた思い…皆様の繁栄を願い、ぬくもりのある町を目指す。これが400年前から続く明石商人の願いであり、明石喜春商店会の心です。

 兵庫県南部に位置し、南に淡路島を臨む風光明媚な町です。この景色の美しさから奈良時代には歌人・柿本人麻呂や山部赤人らに歌を詠まれ、平安時代には紫式部の小説『源氏物語』の舞台にもなりました。
 さらに遡れば、海岸から明石原人の骨や明石象の骨も発見されており、明石の歴史が太古より始まっていたことが伺えます。

 江戸時代、明石城築城後は城下町として栄えました。また、海路の発達と共に大阪、四国、播磨を結ぶ要衝地として発展。実業家・中部幾次郎氏も明石の立地の良さと海の豊かさを活かし、明治から昭和にかけて活躍しました。創立した林兼商店は後の大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)へと成長。水産業以外に教育にも熱心だった中部氏の功績を称え、県立明石公園の大手門前には彼の銅像が建てられています。

 瀬戸内の穏やかな気候のおかげで、県立明石公園の野球場は昭和の時代、プロ野球のキャンプ地にもなりました。野球選手からプロレスラーに転身したジャイアント馬場氏も読売ジャイアンツ時代に明石キャンプに来ています。その縁で阪神淡路大震災後、ジャイアント馬場氏は義援金を寄付し、県立明石公園内には氏の身長と同じ高さ2m9cmの碑が建てられています。

 今では明石といえば、鯛・たこ・穴子・イカナゴのくぎ煮、海苔、そしてなんといっても玉子焼が出てきますが、これら以外にも歴史に裏打ちされた多くの名物・名産品があります。一方、2013年秋に駅前の再開発工事が始まった明石には、新たな発見もあります。

 明石喜春商店会が位置する明石駅前は商いの町であり、飽きないスポットです。
 是非お楽しみください。



 
 
●明石の名前の由来
林崎の沖合を舞台にした『赤石伝説』から明石と名付けられた説が有力。
http://www.yokoso-akashi.jp/akashi-history.htm

●玉子焼とたこ焼きの違い
材料 玉子焼は明石蛸のみ。たこ焼きはキャベツやネギ、天カス、紅生姜など入ることが多い。
粉  小麦粉の他に玉子焼は小麦粉澱粉のじん粉(浮き粉)、たこ焼きはジャガイモ澱粉のかたくり粉を使う。
用具 玉子焼は銅鍋、たこ焼きは鉄鍋を使って焼く。
焼き方 玉子焼は菜箸で、たこ焼はキリ(千枚通し)でひっくり返す。
食べ方 玉子焼は出汁につけて、たこ焼きはソースをかけて食べる。

●明石焼と玉子焼の違い
地元以外では明石焼、地元・明石では玉子焼と呼んでいる。

●魚がおいしい理由
理由は色々あるが、第一に流れの早い明石海峡のおかげ。魚は海流に逆らうため、蛸は流されないよう張り付くため鍛えられ、身が締まる。

●イカナゴくぎ煮が名物の理由
播磨灘の浅瀬・鹿の瀬で春先、イカナゴが獲れるため。

●明石のお酒
六甲山系の花崗岩と海岸の貝殻層のおかげで明石は名水の地であり、播磨平野は良質のお米、山田錦が採れることから、明石は昔から「西灘」と呼ばれる銘酒の産地でもある。

●明石の和菓子
城下町・明石には和菓子の老舗、銘店が多数あり、現在では子午線や時の町、蛸をモチーフにしたユニークなお菓子などお土産好適品も多い。

●見どころ
(明石観光協会) http://www.yokoso-akashi.jp/



 
 
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